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東京高等裁判所 昭和49年(う)3046号 判決

被告人 斎藤輝男

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人鳥切春雄が差し出した控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、次のとおり判断する。

控訴趣意第一点について。

所論は、原判決の罪となるべき事実によれば、被告人は、約六〇キロメートル毎時の速さで南進して、約五〇キロメートル毎時の速さで先行していた森節夫運転の車両を左側から追い越すに当たり、「同車内にいる者を驚かせ、これにいやがらせをし、更に、文句を言つてやろう」と考え、自車が左側車両通行帯に移行し、直進の態勢に入つてから間もなく、自車を大きく右に移行させて、その車体右側を、走行中の森車の車体左側に至近距離まで接近させ、右森節夫およびその同乗者二名に対して暴行を加えたとされているのであつて、原判決は、被告人に暴行の故意があつたことを認定し、その結果、被告人を傷害および傷害致死の罪により処断したものである。しかし、被告人のした転把の角度は僅少であること、被告人には、自己の生命・身体の危険を顧みず、暴行の故意をもつて、原判示の如く自殺行為にも等しい所為に出るべき動機は存しないこと、被告人が森車に接近した目的は、同車の走行方法につき、手で合図して注意を与えようとしたことにあり、ただその際、被告人が前方に左カーブがあるのを忘れ、相手方運転手に注意するためその顔を見ることだけを考えて脇見をしながら進行したので、回避措置をとる間がなかつたものであること、原判決によれば、被告人は左カーブのあることを予め承知していたというのであるから、もしいやがらせのためであれば、直ちにハンドルを左に戻して衝突を避けたはずであるのに、全くそれをしていないこと、等に徴すれば、被告人に森車との接触・衝突に対する意欲・認容がなかつたのは勿論であるし、被告人がそのような接近によつて生ずるかもしれない危険な状況を意欲・認容していたとも認め難い。結局、本件は、被告人と森のそれぞれの単純な過失が重なつて起きた事故とみるべきで、原判決が暴行の故意を認めたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認である、というのである。

原判決挙示の各証拠を検討し、これを総合すると、本件の客観的事実関係、すなわち、現場附近の道路状況、被告人車(車両重量七五九〇キログラム、左右各後輪ダブルタイヤの大型貨物自動車)および森車(車両重量二九六五キログラムの普通貨物自動車)のそれぞれの車種や形状、被告人車は、当該高速道路環状線内回り車道の右側車両通行帯を、北の丸トンネルを通過したのちは約六〇キロメートル毎時の速さで、竹橋方面から千代田トンネル方面に向け進行中、同トンネルより約三〇〇メートル手前の地点で、同じ通行帯上を約五〇キロメートル毎時の速さで先行していた森車に追いついたが、左側車両通行帯の車両の流れに切れ目がなく、森車を追い越すことができなかつたため、速度を森車と同じ程度の約五〇キロメートル毎時まで減じたうえ、約二〇〇メートルにわたつて森車に追随した頃、左側車両通行帯に入り得る状況になつたので、被告人は、約六〇キロメートル毎時に加速し、自車を左側車両通行帯に移行させたうえ、右側通行帯を進行中の森車を追い越そうとしたが、自車が同通行帯で直進態勢に入つてから間もなく、同通行帯の中央部分を十分通行できるのにかかわらず、あえて自車の進路をかなり右に寄せ、両通行帯を区分する黄線を大きく踏み越えて右側通行帯に進入し、森車の左側面に急激に接近するに至つたこと、その際両車の間隔は一時約三〇センチメートルにまでせばまつたが、被告人は、その頃、並進状態になりつつあつた森車の運転席をのぞき込もうとして脇見をしていたため、折柄差しかかつていた左カーブに即応してハンドルを操作することができずに、自車を森車に衝突させ、その結果、森車が中央分離帯のガードレールを突き破つて対向車線上に暴走し、対向車と正面衝突をするに至つたこと、以上のことは、原判決認定のとおりである。右のような事態の推移に徴すれば、被告人が森車を追い越すに当たり、自車を森車に意識的に近づけたことが原因し、両車が異常に接近して、本件衝突事故が発生したことは明らかである。

そこで被告人が、自車を森車に異常に接近させた理由について検討するに、被告人は検察官に対し、「この時点ではいらいらしていて、先行車に対しこの野郎という気持があつたから、いやがらせのため幅寄せをする気持のあつたことは否定できない」旨、「右側車線を走つていながらモタモタしている感じを受けていたので、正直なところ、いやがらせのため幅寄せをしてやろうという気持があつた」旨、「黄色の実線が引かれていることは判つていたが、左側車線を進行していた車がスーツと前に出たので、このチヤンスに前車の前に出ようと考えた」旨、「イライラした気分だつたので、接近して行つて驚かし、ブレーキを踏ませ減速させてやろうという気持のあつたことは事実である」旨、「四、五〇センチメートルまで寄つたら左にハンドルを切つて直進するつもりであつた」旨それぞれ供述し、いわゆる幅寄せをしたことを終始認めているところ、相手車両の森とすれば、北の丸トンネルを出たところは制限速度が五〇キロメートル毎時ではあるが、黄色の進路変更車線の始まる手前附近は制限速度が四〇キロメートル毎時であり、被告人車の前示幅寄せが行われたところは進路変更禁止区間に属しており、森車が前記の区間を約五〇キロメートル毎時で直進していた限り、森車としては、その走行方法につき、被告人から注意を受けるべき理由は全くないにもかかわらず、被告人が、高速道路上において並進車両と接近するという危険な方法をとつてまで相手車両の運転者に対しその運転方法を改めさせようとし、しかもその際、左カーブに差しかかつていることさえ忘れていたということは、当時、被告人がよほどいらだち、冷静さをも失つていたことの証左にほかならないのであつて、これらに鑑みれば、被告人の前記検察官調書の記載は、右のような被告人の当時の心理状態をかなり的確に表現したものとして信用性が高いというべきである。所論は、右の供述記載は、検察官の著しい誘導と強要による自白であつて、信用性および任意性において疑わしいものがある旨強調するけれども、各調書を仔細に検討し、かつ他の証拠や被告人の原審および当審の各公判廷における供述と比照してみても、その信用性および任意性が疑わしいとしてこれを排斥すべき理由は見当たらない。

以上によると、被告人は、森車の走行の仕方が被告人からみて緩慢にすぎるとして、これにいやがらせをし、更に文句を言つてやろうという気持で、追い越しに当たり、自車を森車にその間隔が約三〇センチメートルになるまで接近させた、つまりいわゆる幅寄せをしたものと認めるのが相当で、被告人が弁明するように、単に森車の運転手に注意を与えようとしたにすぎないものとは到底考えられない。なお、所論は前方にカーブのある本件現場の状況のもとでは、直ちに衝突を避けるための措置をとることが通常であるのに、被告人がこの措置に出でなかつたことからみても、被告人がいやがらせのため幅寄せをしたものとは考えられない旨主張するが、しかし被告人は検察官に対し普段から左カーブのあることは知つていたが、前記追い越しを企てた時点では、森車に気をとられ、その運転席をのぞきこんでいたため、これを忘れていた旨供述しており、右供述と前記異常な事態の推移に鑑みれば、被告人において回避措置をとつていなかつたからといつて、これをもつて前叙幅寄せの認定の妨げとなるものではない。

而して、本件のように、大型自動車を運転して、傾斜やカーブも少なくなく、多数の車両が二車線上を同一方向に毎時五、六〇キロメートルの速さで、相い続いて走行している高速道路上で、しかも進路変更禁止区間内において、いわゆる幅寄せという目的をもつて、他の車両を追い越しながら、故意に自車をその車両に著しく接近させれば、その結果として、自己の運転方法の確実さを失うことによるとか、相手車両の運転者をしてその運転方法に支障をもたらすことなどにより、それが相手方に対する交通上の危険につながることは明白で、右のような状況下における幅寄せの所為は、刑法上、相手車両の車内にいる者に対する不法な有形力の行使として、暴行罪に当たると解するのが相当である。即ち被告人としては、相手車両との接触・衝突までを意欲・認容していなかつたとしても、前記状況下において意識して幅寄せをなし、相手に対しいやがらせをするということについての意欲・認容があつたと認定できることが前記のとおりである以上、被告人には暴行の故意があつたといわざるを得ないのである。したがつて、この点に関する原判決の認定に誤りはない。

さらに所論は、原判決は、被告人の行為について暴行の故意と過失行為の競合を認めることにより、行為全体を一個の故意犯として評価しているとして、これを非難するけれども、原判決は、被告人に暴行の限度で故意があつたとし、その暴行行為の際に原判示のような過失行為のあつたことを認定することにより、右暴行行為から本件傷害ないし致死という結果が発生するに至る具体的な因果関係を示し、かつ、右の結果について被告人に責任のあることを明らかにしたものと解されるのであつて、原判決が、被告人に衝突やそれに伴う傷害等の結果に対する意欲・認容があつたとしているのではないことは、判文上明らかであり、右の点に関する所論は採用できない。

その他記録を精査し、当審における事実取調の結果を検討しても、以上の判断を動かすことはできず、原判決に所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について。

所論は、被告人に対し懲役二年六月の刑を言い渡した原判決の量刑は重きにすぎて相当でない、というのである。

原審記録によると、本件は、原判示のとおり、被告人が大型車を運転して都内の高速道路を進行中、先行車の動きが緩慢すぎると感じて神経をいらだたせ、同車を追い越す際いわゆる幅寄せをしていやがらせをしたところ、運転を誤つて右先行車と衝突し、その結果右先行車が、中央分離体を越え対向車線上にまで暴走したうえ、対向車と正面衝突し、死者一名、重軽傷者四名を出すという惨事に至つたという事案であり、被告人は、右の幅寄せ行為が故意による暴行に当たるとして、傷害および傷害致死の罪責を問われているのであつて、その動機・態様が危険性の高いものであること、結果が誠に重大であることに鑑みれば、原判決の量刑は相当であつたといえる。

しかしながら、当審における事実取調の結果によると、原判決後に至つて、本件で死亡した被害者との関係において、賠償金として金三一六八万(そのうち金三、〇〇〇万円は保険金による)が支払われたことにより、円満に示談が成立し、遺族から被告人に対する寛刑を望む上申書が提出されたという新たな事情の生じたことが認められるので、特にこの点を斟酌し、その他、被告人には道交法違反による罰金刑が一回あるほかに前科がないこと、他の被害者らとの示談状況、被告人の年齢・経歴・性格・環境等一切の事情を総合して考察すると、前記のような事案内容に鑑み酌量減軽をなし、あるいは執行猶予を付するのは困難であるとしても、原判決の刑期を今日そのまま維持するのは重きにすぎて相当でなく、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反すると認められる。

よつて、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、さらに当裁判所において次のとおり判決をする。

原判決の認定した事実に法律を適用すると、原判示所為中西尾誠一に対する傷害致死の点は刑法二〇五条一項に該当し、森節夫、屋久和美、萩原貞次および西尾健司の四名に対する各傷害の点はそれぞれ同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ所定刑中懲役刑を選択し、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い西尾誠一に対する罪の刑で処断し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入し、原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決をする。

(裁判官 矢崎憲正 大沢博 本郷元)

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